30代の前半、左目の網膜剥離で入院した。
手術の前、病室で鎮静剤を打たれた。看護師さんに「大丈夫ですか?」と聞かれて、「ちょっと気持ち悪いです」と答えた。そこまでは覚えている。次に意識が戻ったとき、さっきまで一人だった看護師さんが三人以上に増えていた。どうやら数分間、意識を失っていたらしい。
手術は無事に成功した。でも、あの数分間の「空白」は、今も消えない。自分という存在が、何の前触れもなくふっと途切れる。あの感覚は、それまで頭では理解していたつもりの「命の有限性」を、身体の奥に直接刻み込んだ。
「いつか」は来ないかもしれない
網膜剥離の経験だけなら、「怖かったけど治ってよかった」で終わっていたかもしれない。
でも、それ以前から、命の不確かさは僕のすぐそばにあった。
中学の時、たまたま別のクラスの生徒と話す機会があった。共通の知り合いがきっかけで声をかけ、話が盛り上がり、「またね」と別れた。その週末、彼は交通事故で亡くなった。金曜日に笑っていた人間が、月曜にはもういない。まだ中学生だった僕にとって、それは初めて「死」というものの輪郭を感じた瞬間だった。
社会人になってからも、身近な人が突然いなくなるということを何度か経験した。お世話になった先輩も、一緒に働いた後輩も。年齢も状況もそれぞれ違ったけれど、共通していたのは「まさかあの人が」という感覚だった。
そして、父を亡くした。60歳を迎える前にがんを宣告され、余命半年と言われた時期もあった。それでも医者が驚くほど回復して、調子のいい日には一人で旅行に出かけたりもしていた。「できることを、できるうちに」。そんな父の姿を見ていた。結局、65歳の誕生日を迎えることなく逝った。
これらの経験を通じて、僕の中に一つの感覚が静かに根を下ろしていった。
明日も今日と同じように命があるなんて、誰にも保証されていない。
有限性は「焦り」のためではない
「命は有限だ」と聞くと、多くの人はこう反応する。
「だから、もっと頑張らなきゃ」 「時間を無駄にしてはいけない」 「やりたいことリストを全部消化しなきゃ」
でも、それは有限性の使い方を間違えている。
命が有限だという事実は、あなたを追い立てるためにあるのではない。あなたが、今日という日を「自分のために」使っていい、という免罪符なのだ。
今日一日、ゴロゴロしていたっていい。それが自分の意志で選んだことなら、その一日は最高の一日だ。
逆に、誰かの期待に応えるためだけに走り回って、夜、布団の中で「何のために頑張ったんだろう」と思う一日があるなら、それは命の使い方として、本当にもったいない。
有限だからこそ、焦る必要はない。有限だからこそ、自分を後回しにしている場合ではない。
「明日も会社のために」という呪い
真面目で責任感の強い人ほど、自分を後回しにする。
「チームのために」「会社のために」「家族のために」。その姿勢は立派だと思う。でも、その裏側で「自分のために」という選択肢が消えていないだろうか。
僕自身、ITコンサルタントとして、人事責任者として、事業の責任者として、ずっと走り続けてきた時期がある。「自分がやらなきゃ」「自分が止まったら回らない」。そう思い込んで、自分の身体や気持ちを後回しにしていた。
でも、あの手術台に向かう前の空白の数分間が、いつも頭の片隅にある。
あの瞬間、会社のことは一切考えなかった。来期の予算も、部下の評価も、クライアントへの提案も、全部消えた。残ったのは、「目が見えなくなったらどうしよう」というむき出しの恐怖だけだった。
命が本当に危うくなったとき、「会社のために頑張った自分」は一ミリも助けてくれない。自分を守れるのは、自分しかいない。
だから、今日から一つだけ、考え方を変えてみてほしい。
「自分を大切にすること」は、わがままではない。有限な命を生きる人間として、最も合理的な選択だ。
自分を大切にすることは、逃げではない
「でも、自分のことばかり考えるのは無責任では?」
そう思う気持ちはよくわかる。僕もそう思っていた時期がある。でも、今は逆だと思っている。
自分を大切にしない人間は、判断が鈍る。余裕がなくなると、視野が狭くなる。視野が狭くなると、本当に大事なことを見落とす。そして、見落とした結果が周囲に波及する。
つまり、自分を消耗させ続けることこそが、周囲にとっても最大のリスクなのだ。
飛行機の中で、緊急時の酸素マスクは「まず自分に着けてから、隣の人を助けてください」とアナウンスされる。それは利己主義ではなく、合理的な設計だ。自分が倒れたら、誰も助けられない。
人生も同じだ。まず自分のインフラ、つまり心と身体の余裕を整えること。それが、結果的に周囲のためにもなる。
この先の話
この記事は、僕がこれから書いていくシリーズの最初の一本だ。
組織の中で消耗している人、真面目に頑張っているのに報われない人、「自分を変えなきゃ」と苦しんでいる人。そういう人たちに向けて、僕なりの考え方を伝えていきたいと思っている。
テーマは「意志」と「構造」。
人がうまくいかないとき、原因は「自分がダメだから」ではなく、多くの場合「構造がズレている」だけだ。そのズレを見つけて、書き換える。自分を変えるのではなく、仕組みを変える。
でも、その話に入る前に、まずはここから始めたかった。
命は有限だ。だから、今日、自分を大切にしていい。
それは逃げでも甘えでもない。すべての「設計」の出発点だ。
