【Will&Nexus 01/49】「自分を後回し」にしていませんか。

30代の前半、左目の網膜剥離で入院した。

手術の前、病室で鎮静剤を打たれた。看護師さんに「大丈夫ですか?」と聞かれて、「ちょっと気持ち悪いです」と答えた。そこまでは覚えている。次に意識が戻ったとき、さっきまで一人だった看護師さんが三人以上に増えていた。どうやら数分間、意識を失っていたらしい。

手術は無事に成功した。でも、あの数分間の「空白」は、今も消えない。自分という存在が、何の前触れもなくふっと途切れる。あの感覚は、それまで頭では理解していたつもりの「命の有限性」を、身体の奥に直接刻み込んだ。


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「いつか」は来ないかもしれない

網膜剥離の経験だけなら、「怖かったけど治ってよかった」で終わっていたかもしれない。

でも、それ以前から、命の不確かさは僕のすぐそばにあった。

中学の時、たまたま別のクラスの生徒と話す機会があった。共通の知り合いがきっかけで声をかけ、話が盛り上がり、「またね」と別れた。その週末、彼は交通事故で亡くなった。金曜日に笑っていた人間が、月曜にはもういない。まだ中学生だった僕にとって、それは初めて「死」というものの輪郭を感じた瞬間だった。

社会人になってからも、身近な人が突然いなくなるということを何度か経験した。お世話になった先輩も、一緒に働いた後輩も。年齢も状況もそれぞれ違ったけれど、共通していたのは「まさかあの人が」という感覚だった。

そして、父を亡くした。60歳を迎える前にがんを宣告され、余命半年と言われた時期もあった。それでも医者が驚くほど回復して、調子のいい日には一人で旅行に出かけたりもしていた。「できることを、できるうちに」。そんな父の姿を見ていた。結局、65歳の誕生日を迎えることなく逝った。

これらの経験を通じて、僕の中に一つの感覚が静かに根を下ろしていった。

明日も今日と同じように命があるなんて、誰にも保証されていない。


有限性は「焦り」のためではない

「命は有限だ」と聞くと、多くの人はこう反応する。

「だから、もっと頑張らなきゃ」 「時間を無駄にしてはいけない」 「やりたいことリストを全部消化しなきゃ」

でも、それは有限性の使い方を間違えている。

命が有限だという事実は、あなたを追い立てるためにあるのではない。あなたが、今日という日を「自分のために」使っていい、という免罪符なのだ。

今日一日、ゴロゴロしていたっていい。それが自分の意志で選んだことなら、その一日は最高の一日だ。

逆に、誰かの期待に応えるためだけに走り回って、夜、布団の中で「何のために頑張ったんだろう」と思う一日があるなら、それは命の使い方として、本当にもったいない。

有限だからこそ、焦る必要はない。有限だからこそ、自分を後回しにしている場合ではない。


「明日も会社のために」という呪い

真面目で責任感の強い人ほど、自分を後回しにする。

「チームのために」「会社のために」「家族のために」。その姿勢は立派だと思う。でも、その裏側で「自分のために」という選択肢が消えていないだろうか。

僕自身、ITコンサルタントとして、人事責任者として、事業の責任者として、ずっと走り続けてきた時期がある。「自分がやらなきゃ」「自分が止まったら回らない」。そう思い込んで、自分の身体や気持ちを後回しにしていた。

でも、あの手術台に向かう前の空白の数分間が、いつも頭の片隅にある。

あの瞬間、会社のことは一切考えなかった。来期の予算も、部下の評価も、クライアントへの提案も、全部消えた。残ったのは、「目が見えなくなったらどうしよう」というむき出しの恐怖だけだった。

命が本当に危うくなったとき、「会社のために頑張った自分」は一ミリも助けてくれない。自分を守れるのは、自分しかいない。

だから、今日から一つだけ、考え方を変えてみてほしい。

「自分を大切にすること」は、わがままではない。有限な命を生きる人間として、最も合理的な選択だ。


自分を大切にすることは、逃げではない

「でも、自分のことばかり考えるのは無責任では?」

そう思う気持ちはよくわかる。僕もそう思っていた時期がある。でも、今は逆だと思っている。

自分を大切にしない人間は、判断が鈍る。余裕がなくなると、視野が狭くなる。視野が狭くなると、本当に大事なことを見落とす。そして、見落とした結果が周囲に波及する。

つまり、自分を消耗させ続けることこそが、周囲にとっても最大のリスクなのだ。

飛行機の中で、緊急時の酸素マスクは「まず自分に着けてから、隣の人を助けてください」とアナウンスされる。それは利己主義ではなく、合理的な設計だ。自分が倒れたら、誰も助けられない。

人生も同じだ。まず自分のインフラ、つまり心と身体の余裕を整えること。それが、結果的に周囲のためにもなる。


この先の話

この記事は、僕がこれから書いていくシリーズの最初の一本だ。

組織の中で消耗している人、真面目に頑張っているのに報われない人、「自分を変えなきゃ」と苦しんでいる人。そういう人たちに向けて、僕なりの考え方を伝えていきたいと思っている。

テーマは「意志」と「構造」。

人がうまくいかないとき、原因は「自分がダメだから」ではなく、多くの場合「構造がズレている」だけだ。そのズレを見つけて、書き換える。自分を変えるのではなく、仕組みを変える。

でも、その話に入る前に、まずはここから始めたかった。

命は有限だ。だから、今日、自分を大切にしていい。

それは逃げでも甘えでもない。すべての「設計」の出発点だ。


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この記事を書いた人

慶應義塾大学大学院 理工学研究科 前期博士課程修了。

新卒から総合コンサルティングファームに入り、約6年ITや業務のコンサルを行う。研修会社に転職し、研修講師・企画等を行ったのち、人事領域全般に関わる、人材紹介会社グループのコンサルティングファームに。社内から組織や人材を良くしたいという希望から、事業会社で人事責任者などを経験。

趣味は多岐にわたる。断続的に続いているものだけでもゲーム(特にRPG, ドラクエシリーズ)、小さい頃から好きだった音楽(特に歌うこと)、社会人になってからフィットネスクラブ通い、コロナになってから始めた写真などは今も断続的に行っている。

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