【Will&Nexus 02/49】「わかっているのに動けない」は、あなたのせいじゃない。

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「わかっているのに、動けない」

朝、目が覚める。「今日こそ自分のために時間を使おう」と思っていたはずだった。でも気づけば、いつもと同じようにメールを開き、同じように会議に出て、同じように「やらなきゃ」に追われて一日が過ぎている。

夜、布団の中で思う。

「わかっているのに、動けなかった」。

そして、その次に来る感情がある。罪悪感だ。

「自分を大切にしろ」と言われたのに、できなかった。やるべきだとわかっているのに、動けなかった。理想の自分と現実の自分のギャップに、じわじわと蓋をされていく感覚。

この罪悪感を、今日は一緒にデバッグしたい。


罪悪感は「気合の不足」ではない

「わかっているのに動けない」と感じるとき、多くの人はこう結論づける。

「自分の意志が弱いからだ」。

でも、本当にそうだろうか。

僕自身、似たような経験がある。身体を壊しかけた時期、「もっと休まないと」とわかっていた。周囲にも言われていた。でも、休めなかった。目の前の仕事を手放すのが怖かった。自分が止まったら回らなくなる、と思い込んでいた。

あのとき足りなかったのは、気合ではなかった。「手放しても回る仕組み」がなかったのだ。

タスクが属人化していた。相談できる相手がいなかった。「自分が抜けても大丈夫」と思える構造がなかった。その状態で「休め」と言われても、休めるわけがない。

「動けない」のは、意志が弱いからではない。動けない構造の中にいるからだ。


罪悪感のメカニズム

少し分解してみよう[※1]

「動けない自分を責める」という感情の裏には、たいてい三つの要素が絡んでいる。

① 理想の自分と現実の自分のギャップ

「こうあるべき自分」が頭の中にいる。「毎朝5時に起きて運動して、計画通りに仕事を進めて、週末は家族との時間を大切にする自分」。そういう理想像と、だらだらスマホを見てしまった現実の自分を比べて、「ダメだ」と感じる。

② 「すべきこと」の過積載

やるべきことが多すぎて、何から手をつけていいかわからない。結果、何も手をつけられない。手をつけられなかった自分に罪悪感を覚え、次のやるべきことに取り組むエネルギーがさらに減る。悪循環だ。

③ 「動いていないと価値がない」という思い込み

「何かを達成していないと、自分には価値がない」。このプログラムが走っていると、休むことも、立ち止まることも、罪になる。ゴロゴロした日曜日が「無駄な一日」に変わる。

この三つのうち、どれが自分に当てはまるだろうか。

大事なのは、これらは全部「構造」の問題であって、「性格」の問題ではないということだ。


バグ報告として受け取る

別の記事で、設計者のスタンスについて書いた[※2]。何かがうまくいかないとき、「誰が悪い」ではなく「構造のどこにバグがあるか」を考える、と。

この考え方は、他人に対してだけでなく、自分に対しても使える

「動けなかった」という事実を、自分への罰として受け取るのか、自分というシステムからのバグ報告として受け取るのか。

この受け取り方一つで、次のアクションがまったく変わる。

罰として受け取ると、「もっと頑張らなきゃ」「次こそは」となる。でも、構造が変わっていないのだから、また同じことが起きる。そしてまた自分を責める。ループだ。

バグ報告として受け取ると、「なぜ動けなかったのか」を分析できる。時間が足りなかったのか。何から始めればいいかわからなかったのか。そもそも今の自分には休息が必要だったのか。

バグ報告には、怒る必要がない。原因を特定して、修正すればいい。


「ダラダラした日」を構造的に受容する

一つ、具体的な話をしよう。

「今日は何もしなかった。ダラダラしてしまった」。

この文を、罪悪感で読むと「自分はダメだ」になる。

でも、バグ報告として読むとどうなるか。

「今日、身体と脳が『何もしない』を選んだ。それは、何もしないことが今の自分に必要だったからだ」。

これは甘やかしではない。構造的な事実だ。

人間の脳には「回復」のフェーズが必要だ。ずっと出力し続けることはできない。入力と処理と出力を繰り返すうちに、キャッシュが溜まり、処理速度が落ちる。そのとき脳が選ぶのは、「強制的にシャットダウンする」こと。ぼーっとする。スマホを見る。何もやる気が起きない。

それを外から見ると「ダラダラしている」になる。でも、内部では休息というインフラの再構築が行われている。

記事01[※5]で書いた「自分を大切にすること」の中には、この「何もしない時間」を自分に許すことも含まれている。

「今日は何もしなかった」を、「今日は回復のインフラを整備した」と翻訳する。それだけで、罪悪感のループから一歩抜け出せる。


「やろうと思ったのに動けない」の構造

もう少し踏み込もう。

「やろうと思ったのに動けない」。これは多くの人が経験する状態だ。転職を考えているのに動けない。資格の勉強を始めようと思っているのに手がつかない。部下に言わなきゃいけないことがあるのに切り出せない。

この「動けない」を意志の問題だと片付けると、解決策は「もっと気合を入れる」しかなくなる。筋トレ的アプローチだ。

でも、構造の問題として見ると、いくつかのパターンが浮かぶ。

パターン①:最初の一歩が大きすぎる

「転職する」という目標が大きすぎて、何から手をつけていいかわからない。結果、何もしない。これは目標が間違っているのではなく、分解が足りていない。「転職する」を「まず職務経歴書を開く」に分解するだけで、動けることがある。

パターン②:情報が足りていない

「やるべきだ」と思っているが、「どうやって」が見えていない。情報の非対称性[※3]は、組織だけでなく自分の中にも起きる。やり方がわからないから動けない。それは怠慢ではなく、情報不足だ。

パターン③:今は動くタイミングではない

これが一番見落とされがちだ。「動かなきゃ」と思っているが、実は今の自分には動くだけのリソースがない。体力的に、精神的に、あるいは環境的に。

以前、ある案件で「今はやらない方がいい」と伝えたことがある[※4]。方向性が定まっていないまま動いても、後でやり直しになる。組織にも「動かない」が正解の時期があるように、個人にも「今は動かない」が正解の時期がある。

動けないのは、バグではない。「今は動かない方がいい」という、システムからの正しいフィードバックかもしれない。


自分を責めるエネルギーの行き先

もう一つ、大事な話がある。

自分を責めるというのは、ものすごく大きなエネルギーを使う行為だ。

反省し、後悔し、「次こそは」と決意する。その一連のプロセスは、感情的にも認知的にも、相当な負荷がかかっている。

問題は、そのエネルギーが何も生み出していないことだ。

自分を責めた結果、構造が変わったか? 変わっていない。自分を責めた結果、次の一手が見えたか? 見えていない。ただ「自分はダメだ」というラベルを貼り直しただけだ。

このエネルギーを、別の場所に使えたらどうだろう。

「なぜ動けなかったか」を分析するエネルギーに変換する。「次に動くためには何が必要か」を考えるエネルギーに変換する。

同じ量のエネルギーを使うなら、「自分を責める」よりも「自分をデバッグする」方が、はるかに生産的だ。


完璧に動ける日は来ない

最後に、一つだけ。

「いつか完璧に動ける自分になったら、罪悪感は消える」。そう思っている人がいるかもしれない。

残念ながら、その日は来ない。

完璧に計画通りの一日を過ごせることは、たぶん一生ない。何かをやり残し、何かを先延ばしにし、何かに手が回らない。それが普通だ。

大事なのは、完璧な自分になることではなく、不完全な自分をどう扱うかだ。

不完全さを罰にするか、データにするか。

「今日できなかった」を「自分はダメだ」の証拠にするか、「センターピンがズレていることを教えるバグ報告」にするか。

同じ事実でも、受け取り方を変えるだけで、次の一歩が変わる。

罪悪感をデバッグするとは、自分への評価を甘くすることではない。自分への問いを、「なぜ自分はダメなのか」から「なぜ今の構造では動けないのか」に切り替えることだ。

その問いが立てば、あとは設計者として動けばいい。


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この記事を書いた人

慶應義塾大学大学院 理工学研究科 前期博士課程修了。

新卒から総合コンサルティングファームに入り、約6年ITや業務のコンサルを行う。研修会社に転職し、研修講師・企画等を行ったのち、人事領域全般に関わる、人材紹介会社グループのコンサルティングファームに。社内から組織や人材を良くしたいという希望から、事業会社で人事責任者などを経験。

趣味は多岐にわたる。断続的に続いているものだけでもゲーム(特にRPG, ドラクエシリーズ)、小さい頃から好きだった音楽(特に歌うこと)、社会人になってからフィットネスクラブ通い、コロナになってから始めた写真などは今も断続的に行っている。

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