「わかっているのに、動けない」
朝、目が覚める。「今日こそ自分のために時間を使おう」と思っていたはずだった。でも気づけば、いつもと同じようにメールを開き、同じように会議に出て、同じように「やらなきゃ」に追われて一日が過ぎている。
夜、布団の中で思う。
「わかっているのに、動けなかった」。
そして、その次に来る感情がある。罪悪感だ。
「自分を大切にしろ」と言われたのに、できなかった。やるべきだとわかっているのに、動けなかった。理想の自分と現実の自分のギャップに、じわじわと蓋をされていく感覚。
この罪悪感を、今日は一緒にデバッグしたい。
罪悪感は「気合の不足」ではない
「わかっているのに動けない」と感じるとき、多くの人はこう結論づける。
「自分の意志が弱いからだ」。
でも、本当にそうだろうか。
僕自身、似たような経験がある。身体を壊しかけた時期、「もっと休まないと」とわかっていた。周囲にも言われていた。でも、休めなかった。目の前の仕事を手放すのが怖かった。自分が止まったら回らなくなる、と思い込んでいた。
あのとき足りなかったのは、気合ではなかった。「手放しても回る仕組み」がなかったのだ。
タスクが属人化していた。相談できる相手がいなかった。「自分が抜けても大丈夫」と思える構造がなかった。その状態で「休め」と言われても、休めるわけがない。
「動けない」のは、意志が弱いからではない。動けない構造の中にいるからだ。
罪悪感のメカニズム
少し分解してみよう[※1]。
「動けない自分を責める」という感情の裏には、たいてい三つの要素が絡んでいる。
① 理想の自分と現実の自分のギャップ
「こうあるべき自分」が頭の中にいる。「毎朝5時に起きて運動して、計画通りに仕事を進めて、週末は家族との時間を大切にする自分」。そういう理想像と、だらだらスマホを見てしまった現実の自分を比べて、「ダメだ」と感じる。
② 「すべきこと」の過積載
やるべきことが多すぎて、何から手をつけていいかわからない。結果、何も手をつけられない。手をつけられなかった自分に罪悪感を覚え、次のやるべきことに取り組むエネルギーがさらに減る。悪循環だ。
③ 「動いていないと価値がない」という思い込み
「何かを達成していないと、自分には価値がない」。このプログラムが走っていると、休むことも、立ち止まることも、罪になる。ゴロゴロした日曜日が「無駄な一日」に変わる。
この三つのうち、どれが自分に当てはまるだろうか。
大事なのは、これらは全部「構造」の問題であって、「性格」の問題ではないということだ。
バグ報告として受け取る
別の記事で、設計者のスタンスについて書いた[※2]。何かがうまくいかないとき、「誰が悪い」ではなく「構造のどこにバグがあるか」を考える、と。
この考え方は、他人に対してだけでなく、自分に対しても使える。
「動けなかった」という事実を、自分への罰として受け取るのか、自分というシステムからのバグ報告として受け取るのか。
この受け取り方一つで、次のアクションがまったく変わる。
罰として受け取ると、「もっと頑張らなきゃ」「次こそは」となる。でも、構造が変わっていないのだから、また同じことが起きる。そしてまた自分を責める。ループだ。
バグ報告として受け取ると、「なぜ動けなかったのか」を分析できる。時間が足りなかったのか。何から始めればいいかわからなかったのか。そもそも今の自分には休息が必要だったのか。
バグ報告には、怒る必要がない。原因を特定して、修正すればいい。
「ダラダラした日」を構造的に受容する
一つ、具体的な話をしよう。
「今日は何もしなかった。ダラダラしてしまった」。
この文を、罪悪感で読むと「自分はダメだ」になる。
でも、バグ報告として読むとどうなるか。
「今日、身体と脳が『何もしない』を選んだ。それは、何もしないことが今の自分に必要だったからだ」。
これは甘やかしではない。構造的な事実だ。
人間の脳には「回復」のフェーズが必要だ。ずっと出力し続けることはできない。入力と処理と出力を繰り返すうちに、キャッシュが溜まり、処理速度が落ちる。そのとき脳が選ぶのは、「強制的にシャットダウンする」こと。ぼーっとする。スマホを見る。何もやる気が起きない。
それを外から見ると「ダラダラしている」になる。でも、内部では休息というインフラの再構築が行われている。
記事01[※5]で書いた「自分を大切にすること」の中には、この「何もしない時間」を自分に許すことも含まれている。
「今日は何もしなかった」を、「今日は回復のインフラを整備した」と翻訳する。それだけで、罪悪感のループから一歩抜け出せる。
「やろうと思ったのに動けない」の構造
もう少し踏み込もう。
「やろうと思ったのに動けない」。これは多くの人が経験する状態だ。転職を考えているのに動けない。資格の勉強を始めようと思っているのに手がつかない。部下に言わなきゃいけないことがあるのに切り出せない。
この「動けない」を意志の問題だと片付けると、解決策は「もっと気合を入れる」しかなくなる。筋トレ的アプローチだ。
でも、構造の問題として見ると、いくつかのパターンが浮かぶ。
パターン①:最初の一歩が大きすぎる
「転職する」という目標が大きすぎて、何から手をつけていいかわからない。結果、何もしない。これは目標が間違っているのではなく、分解が足りていない。「転職する」を「まず職務経歴書を開く」に分解するだけで、動けることがある。
パターン②:情報が足りていない
「やるべきだ」と思っているが、「どうやって」が見えていない。情報の非対称性[※3]は、組織だけでなく自分の中にも起きる。やり方がわからないから動けない。それは怠慢ではなく、情報不足だ。
パターン③:今は動くタイミングではない
これが一番見落とされがちだ。「動かなきゃ」と思っているが、実は今の自分には動くだけのリソースがない。体力的に、精神的に、あるいは環境的に。
以前、ある案件で「今はやらない方がいい」と伝えたことがある[※4]。方向性が定まっていないまま動いても、後でやり直しになる。組織にも「動かない」が正解の時期があるように、個人にも「今は動かない」が正解の時期がある。
動けないのは、バグではない。「今は動かない方がいい」という、システムからの正しいフィードバックかもしれない。
自分を責めるエネルギーの行き先
もう一つ、大事な話がある。
自分を責めるというのは、ものすごく大きなエネルギーを使う行為だ。
反省し、後悔し、「次こそは」と決意する。その一連のプロセスは、感情的にも認知的にも、相当な負荷がかかっている。
問題は、そのエネルギーが何も生み出していないことだ。
自分を責めた結果、構造が変わったか? 変わっていない。自分を責めた結果、次の一手が見えたか? 見えていない。ただ「自分はダメだ」というラベルを貼り直しただけだ。
このエネルギーを、別の場所に使えたらどうだろう。
「なぜ動けなかったか」を分析するエネルギーに変換する。「次に動くためには何が必要か」を考えるエネルギーに変換する。
同じ量のエネルギーを使うなら、「自分を責める」よりも「自分をデバッグする」方が、はるかに生産的だ。
完璧に動ける日は来ない
最後に、一つだけ。
「いつか完璧に動ける自分になったら、罪悪感は消える」。そう思っている人がいるかもしれない。
残念ながら、その日は来ない。
完璧に計画通りの一日を過ごせることは、たぶん一生ない。何かをやり残し、何かを先延ばしにし、何かに手が回らない。それが普通だ。
大事なのは、完璧な自分になることではなく、不完全な自分をどう扱うかだ。
不完全さを罰にするか、データにするか。
「今日できなかった」を「自分はダメだ」の証拠にするか、「センターピンがズレていることを教えるバグ報告」にするか。
同じ事実でも、受け取り方を変えるだけで、次の一歩が変わる。
罪悪感をデバッグするとは、自分への評価を甘くすることではない。自分への問いを、「なぜ自分はダメなのか」から「なぜ今の構造では動けないのか」に切り替えることだ。
その問いが立てば、あとは設計者として動けばいい。
