「ハッピー」は甘い言葉か
「ハッピー」という言葉を聞いて、ビジネスの文脈では少し居心地が悪くなる人がいるかもしれない。
数字を追いかける現場で、「ハッピーが大事です」と言ったら、甘いと思われる。理想主義だと笑われる。「で、売上はどうなるの?」と返される。
その気持ちはわかる。
でも、このシリーズの最後に、一つだけはっきり伝えたいことがある。
ハッピーは感情ではない。エネルギー効率の最大化であり、最も合理的な戦略だ。
Unhappy=摩擦ロス
このシリーズでは、組織の不全をエネルギーの問題として捉えてきた。
情報が見えないから疑心暗鬼が生まれる[※1]。Willがぶつかるから我慢か押し通しかの消耗戦になる[※2]。定数に力を注いでエネルギーが摩擦として消える[※3]。
これらはすべて、エネルギーが「目的」に届く前に、摩擦として失われている状態だ。
物理学でいう摩擦ロス。投入したエネルギーの何割かが、熱として空気中に消えてしまう。動いているのにものが動かない。走っているのに前に進まない。
Unhappy(不全・不満・不信)は、すべてこの「摩擦ロス」だ。
Unhappyが存在するとき、組織は効率が悪い。 これは感情の話ではない。物理の話だ。
Happy=超伝導
では、ハッピーとは何か。
超伝導という現象がある。ある条件下で電気抵抗がゼロになり、エネルギーが一切のロスなく伝わる状態のことだ。
ハッピーは、人間や組織における超伝導だ。
WillがNexus(構造)を通じて、摩擦なく目的に届いている状態。 エネルギーが漏れない。一人ひとりのWillが、そのまま成果に変換される。
マネージャーが部下に方針を伝えるとき、情報の非対称性がないから疑心暗鬼が生まれない。メンバーがアイデアを出すとき、8割の構造が安心感を担保しているから、恐怖なく発言できる。全員のWillが同じ方向に流れているとき、摩擦はゼロに近づく。
この状態を、僕はハッピーと呼んでいる。
搾取の非合理性
ここで、一つの反論に答えておきたい。
「利益を最大化するには、多少の犠牲は仕方がない」という考え方がある。誰かが我慢することで、全体の数字が上がる。短期的にはそう見える。
でも、設計者の目で見ると、搾取は最も非合理的な構造だ。
なぜか。誰かのUnhappy(摩擦)の上に成り立っている利益は、常にエネルギーが漏れている状態で得た利益だからだ。
搾取されている人は、本来のWillを発揮できない。我慢に使っているエネルギーが、成果に変換されない。表面的にはアウトプットが出ているように見えても、その人のポテンシャルの半分も使われていない。
そして、搾取は持続しない。我慢のエネルギーはいずれ限界に達する。離職、メンタル不調、静かな退職。その代償は、短期的に得た利益を簡単に上回る。
ハッピーの最大化は、理想論ではない。摩擦を最小化し、エネルギー変換効率を最大化する、きわめて合理的な経営戦略だ。
「理想」と「利益」は対立しない
このシリーズで何度も書いてきた構造がある。「AかBか」に見えて、実は対立していない。
「理想」と「利益」も同じだ。
「ハッピーを追求すると利益が犠牲になる」。多くの人はそう思っている。でも、それは均衡の設計[※2]を放棄しているだけだ。
ハッピーの追求は、エネルギー効率の最大化だ。つまり、同じ投入量で、より多くの成果を出せるということだ。それは、利益の最大化と矛盾しない。むしろ、一致する。
もちろん、「今この瞬間の利益」と「メンバーのハッピー」がぶつかる局面はある。でも、それは時間軸を伸ばせば解決できることが多い。短期の数字を追うことと、中長期のエネルギー効率を最大化することは、別のレイヤーの話だ。
ハッピーは利益の敵ではない。利益を最大化するための、最も知的な方法だ。
感情の合理性
「ハッピーがエネルギー効率の話だとわかった。でも、やっぱりハッピーは感情じゃないのか?」
そう思う人もいるだろう。
その通りだ。ハッピーには感情の側面がある。嬉しい、楽しい、充実している。それは紛れもなく感情だ。
でも、考えてみてほしい。
なぜ人は、摩擦がない状態を「嬉しい」と感じるのか。 なぜ、自分のWillが真っすぐ届いている状態を「充実している」と感じるのか。
それは、人間が「効率の良い状態」を快と感じるように設計されているからだ。エネルギーが無駄なく使われている状態は、生物として健全だ。だから、脳がそれを「ハッピー」というシグナルで教えてくれる。
感情と合理性は、対立していない。ハッピーという感情は、「あなたの系はうまく機能していますよ」という、自分自身からのフィードバックだ。
「幸せだった」という一言
父が亡くなったあと、遺書のようなメモが父の机から見つかった。
母宛てには、「ありがとう、幸せだった」と書いてあった。
64歳で逝った父だ。年金をもらえる年齢にすら届かなかった。決して器用な人ではなかった。最後の数年はがんと闘っていた。客観的に見れば、順風満帆な人生とは言えなかったかもしれない。
でも、父は「幸せだった」と書いた。
あのメモを見たとき、僕はこのシリーズで書いてきたことの意味を、理屈ではなく身体で理解した気がした。
ハッピーは、条件がすべて揃ったときに訪れるものではない。摩擦がゼロになることでもない。自分のWillを、自分の選んだ形で生きた、という実感。それがあれば、人は最後に「幸せだった」と言えるのかもしれない。
設計者のゴール
このシリーズでは、たくさんの「道具」を紹介してきた。
分解。均衡。センターピン。飛行機。ハンドル。定数と変数。8割の設計。
これらはすべて、一つのゴールに向かうための道具だ。
そのゴールとは、摩擦を最小化し、WillがNexus(構造)を通じて、目的に届く状態を作ること。
僕自身、人事コンサルタントとして、事業会社の人事責任者として、いくつもの組織と向き合ってきた。あるとき、それまでバラバラだった点が一気につながる瞬間を経験した。人事制度は制度のためにあるのではなく、人のWillを活かすための構造なのだと、肌で感じた瞬間だった。あの感覚が、このシリーズを書く原動力になっている。
一方で、正直に言えば、今の僕は自分自身のハッピーの形をまだ模索している最中だ。父を見送り、母の介護をやり切り、一人になり、さて自分はどう生きるのか。答えは出ていない。
でも、それでいいと思っている。
ハッピーは、完成形ではない。今日の自分が、自分のWillに沿って生きているか。その問いを持ち続けていること自体が、ハッピーへの最短ルートなのだと思う。
ハッピーは甘い言葉ではない。きれいごとでもない。
ハッピーは、設計者にとっての究極の合理性であり、僕自身がまだ追いかけている「北極星」だ。
