【Will&Nexus 43/49】肩書きが全部なくなった日、残ったのは何だったか。

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「逆」を考えてみる

設計者として組織や自分の構造を作ってきた。でも、ここで一度、こう問いかけてみたい。

「もし、今の設計を全部壊したら、何が残るか?」

評価制度を全部なくしたら。チーム構成を全部変えたら。今のやり方を全部やめたら。

怖い問いだ。でも、この問いを通過すると、面白いものが見えてくる。


ノイズを削ぎ落とす

記事16[※1]で「分解の魔力」を書いた[※1]。複雑なものを要素に分けて、一つずつ見る。

ここでやるのは、分解のさらに先にある作業だ。分解した要素を、一つずつ「否定」してみる

「この制度がなくても、目的は達成できるか?」 「このプロセスがなくても、チームは機能するか?」 「この役割がなくても、組織は回るか?」

「なくても大丈夫」なものは、ノイズだ。あってもなくても変わらないものは、本質ではない。

否定のプロセスとは、不要なものを削ぎ落として、本質だけを残す作業だ。


手段への執着を捨てる

否定のプロセスが最も効果を発揮するのは、手段への執着を断ち切るときだ。

記事08[※2]で書いた通り[※2]、手段が目的化することは頻繁に起きる。1on1、OKR、ジョブ型。どれも手段だ。でも、いつの間にか「これをやること」自体がゴールになっている。

否定のプロセスは、こう問いかける。

「この手段がなかったら、目的は達成できないのか? 別の手段でも可能ではないか?」

1on1がなくても、部下の状態を把握する方法はあるかもしれない。OKRがなくても、目標を整合させる仕組みはあるかもしれない。

手段を否定しても残る目的こそが、本当に追いかけるべきものだ。


環境が変わっても揺るがない軸

否定のプロセスは、個人にも使える。

「今の仕事がなくなっても、自分がやりたいことは何か?」 「今の肩書きがなくなっても、自分は何者か?」 「今の環境がすべて変わっても、自分の中に残るものは何か?」

記事34[※3]で書いた「記号を外す」[※3]と同じ発想だ。肩書き、ポジション、所属。これらを全部外したとき、残るものが何か。

記事12[※4]で書いたWill——止められてもやめられないこと[※4]——は、この問いに対する一つの答えだ。

環境が変わっても、時代が変わっても、肩書きが変わっても、残り続けるWill。 それが、否定のプロセスで浮かび上がる「不変のコアドライバー」だ。


否定は自己否定ではない

一つ、大事な注意を。

否定のプロセスは、自己否定ではない。

「自分には価値がない」と思うことではない。「今の自分の構成要素を一つずつ検証して、本当に大事なものを見極める」作業だ。

記事30[※5]で書いた「OSのアップデートは過去の自分を否定することではない」[※5]と同じだ。

否定は、純化だ。余分なものを落として、エッセンスを取り出す。

彫刻家が大理石から不要な部分を削り落とすように、自分や組織の「本当に大事なもの」を浮かび上がらせる作業だ。


全部なくなった場所で見えたもの

僕自身、否定のプロセスを意図せず体験したことがある。

キャリアブレイクの時期だった。会社を辞め、肩書きがなくなった。名刺がない。所属がない。「何をしている人ですか?」と聞かれたとき、答えられなかった。

それまでの僕は、「コンサルタントの石野」「人事の石野」「マネージャーの石野」——何かしらの記号とセットで自分を認識していた。その記号が全部外れたとき、最初は空っぽに感じた。

でも、しばらくすると気づいたことがある。記号がなくなっても、残っていたものがあった。「構造を見る目」と「それを言語化したいという衝動」。誰に頼まれなくても、組織の課題を見ると「ここはこう設計すればいい」と考えている自分がいた。

全部なくなった場所で残ったものが、本物のWillだった。

否定のプロセスは、怖い。でも、通過した先には虚無ではなく、純度の高い本質がある。

その本質を抱えて、次の章へ進もう。


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この記事を書いた人

慶應義塾大学大学院 理工学研究科 前期博士課程修了。

新卒から総合コンサルティングファームに入り、約6年ITや業務のコンサルを行う。研修会社に転職し、研修講師・企画等を行ったのち、人事領域全般に関わる、人材紹介会社グループのコンサルティングファームに。社内から組織や人材を良くしたいという希望から、事業会社で人事責任者などを経験。

趣味は多岐にわたる。断続的に続いているものだけでもゲーム(特にRPG, ドラクエシリーズ)、小さい頃から好きだった音楽(特に歌うこと)、社会人になってからフィットネスクラブ通い、コロナになってから始めた写真などは今も断続的に行っている。

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