「あの人じゃないとわからない」
組織の中で、こういう状態を見たことはないだろうか。
「この案件のことは、田中さんに聞かないとわからない」 「あの判断基準は、鈴木部長の頭の中にしかない」 「このプロセス、誰も全体を把握していない」
特定の人の頭の中に、その組織にとって重要な「知恵」が閉じ込められている状態。
その人がいるうちは問題ない。でも、異動、退職、病気で不在になった瞬間、その知恵は消える。
これは、記事41[※1]で書いた「卒業」の前提が整っていない状態だ[※1]。卒業するためには、自分の頭の中にある知恵を、組織が使える形に変換しておく必要がある。
知恵は三層ある
自分の頭の中にある知恵を整理すると、だいたい三つの層に分かれる。
第一層:手順(How)
「このレポートは、こういう手順で作る」「このツールは、こう操作する」。
これは最も言語化しやすい。マニュアルにできる。ツールで代替できることもある。
第二層:判断基準(When / Why)
「この場面では、Aを選ぶ。なぜなら、過去にBを選んで失敗した経験があるから」「このクライアントには、こういうアプローチが有効。なぜなら、こういう価値観を持っているから」。
手順よりも言語化が難しい。でも、ケーススタディとして記録できる。「こういう状況では、こう判断する。理由はこれ」という形で残せる。
第三層:問い(What to ask)
「そもそも、何を問うべきか」。
これが最も難しく、そして最も価値がある。
「新しいプロジェクトが始まったとき、まず何を確認すべきか」「トラブルが起きたとき、最初にどこを見るべきか」。
手順や判断基準は状況によって変わる。でも、正しい問いを立てる力は、どんな状況でも通用する。
「問い」をアルゴリズム化する
このシリーズでは、さまざまな「問い」を紹介してきた。
「構造のどこにバグがあるか?」[※2] 「これは定数か、変数か?」[※3] 「センターピンはどこか?」[※4] 「相手が一番怖いことは何か?」[※5]
これらの問いは、僕の個人的な経験から蒸留されたものだ。でも、問いそのものは、僕がいなくても誰でも使える。
問いをアルゴリズム(手順)化するとは、「この場面ではこの問いを立てる」というパターンを整理して、共有できる形にすることだ。
「チームで問題が起きたとき → まず『構造のどこにバグがあるか?』と問う」 「対立が起きたとき → まず『両者のWillは何か?それぞれの欲しいものは本当に同じか?』と問う」
問いが共有されれば、自分がいなくても「正しい問い」がチームの中で回り始める。
知恵を出し惜しみしない
「自分の知恵を全部渡したら、自分の存在価値がなくなるのでは」。
記事41[※1]でも触れた恐怖だ。
でも、考えてみてほしい。
知恵を渡すと、自分の価値は減るか? むしろ、増えるのではないか。
「あの人がいたから、チームが自律できるようになった」。これは、最高の信頼だ[※6]。「自分の知恵を惜しみなく共有する人だ」という評価は、次の面白い仕事を呼び込む。
知恵を抱え込む人は、今の場所でしか価値がない。知恵を共有する人は、どこに行っても価値がある。
形骸化させない
ただし、知恵を言語化して渡す際の注意点がある。
マニュアル化が目的化して、形骸化しないことだ。
記事08[※7]で書いた通り[※7]、手段が目的化する罠はどこにでもある。「マニュアルを作ること」が目的になると、誰も読まないマニュアルが量産される。
大事なのは、マニュアルではなく「使える形」にすることだ。
長いドキュメントより、短いチェックリスト。テキストより、実際の判断場面での会話。教科書より、ケーススタディ。
自分がいなくても「正しい問い」が回る状態を作る。 それが、知の結晶化のゴールだ。
「自分のスタイル」を渡した日
僕自身、知の結晶化をやった経験がある。
研修の講師をしていた時期がある。最初は試行錯誤の連続だったが、しばらくして自分なりのスタイルが固まった[※8]。受講者の反応も良く、リピートの依頼も増えた。
でも、自分一人で回していては限界がある。自分が体調を崩したら、スケジュールが埋まったら、研修は止まる。
だから、自分がやっていたことを分解して渡すことにした。研修の構成の考え方。受講者のタイプ別の対応パターン。うまくいった場面の具体例と、なぜうまくいったかの分析。単なるスライドの引き継ぎではなく、「なぜこの場面でこうするか」という判断基準まで含めて言語化した。
最初は「自分のスタイルを渡したら、自分の価値がなくなるんじゃないか」という不安もあった。でも実際には、渡したことで自分は次のことに時間を使えるようになった。そして、渡された側が自分なりの工夫を加えて、僕とは違う良さを持つ講師になっていった。
知恵は、抱え込んでいる限り「属人的な強み」にしかならない。渡した瞬間、「組織の資産」に変わる。
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- [※7] 【Will&Nexus 08/49】その「1on1」、何のためにやっていますか。
- [※8] 【Will&Nexus 36/49】「もっと積極的に発言しましょう」に、ずっとダメ出しされてきた。
