「ただ立っているだけで金をもらう男」
こんな話を想像してみてほしい。
ある男が、毎日ある場所に立っている。何もしなくていい。ただ立っているだけで、月末に給料が振り込まれる。楽な仕事だ。多くの人は「うらやましい」と思うかもしれない。
でも、この男は一つだけ自由を失っている。
どこに立つかを、自分で選べない。
立つ場所は誰かが決める。暑い日も寒い日も、雨の日も、指定された場所に立ち続ける。行きたい場所があっても行けない。やりたいことがあっても動けない。対価として安定を得ているけれど、自分の人生のルートを選ぶ権利は、手放している。
これは極端な例だけれど、実は多くの人が似たような状態にあるのではないだろうか。
ハンドルを預けている人の特徴
「会社がこうしてくれない」「上司が変わってくれない」「制度が悪い」。
こうした不満を口にすること自体は悪くない。構造に問題があるなら、それを指摘することは大事だ。このシリーズでもずっとそう書いてきた。
でも、「だから自分は動けない」「だから仕方がない」という結論になるなら、それはハンドルを他人に預けている状態だ。
ハンドルを預けている人には、共通する感覚がある。
乗り物酔いだ。
車に乗っていて、助手席に座っているときの方が酔いやすい。これは、自分が次の動きを予測できないからだ。運転手は「次に右に曲がる」とわかっているから酔わない。でも、助手席の人は急に曲がられると身体が追いつかない。
組織でも同じことが起きている。自分で判断していない、自分で選んでいない。だから、予測できない変化に振り回されて「酔う」。その酔いが、不満や疲弊として現れる。
「責任」の本当の意味
ここで多くの人が引っかかるのが、「責任」という言葉だ。
「ハンドルを握れ」と聞くと、「もっと責任を持て」という説教に聞こえるかもしれない。責任=重荷、責任=プレッシャー。そういうイメージがある。
でも、ここで言う責任とは、あくまで自分の人生に対する責任のことだ。
自分で選んだ道の結果を、良いものも悪いものも、自分で引き受ける。うまくいったら自分の手柄、うまくいかなかったら誰かのせい。そういう都合のいい切り分けをしない。自分が選んだのだから、その結果は自分のものだと受け止める。
これは「すべてを背負い込め」という話ではない。組織の構造に問題があるなら、それは構造の問題だ。このシリーズでもそう書いてきた。でも、その構造に対して「自分がどう動くか」を選ぶのは、自分自身だ。
ハンドルを握っている人間は、右に曲がることも左に曲がることもできる。そして、右に曲がった結果がどうであれ、「自分が選んだ」という事実を引き受けられる。
一方、ハンドルを預けた人間は、連れていかれた先に文句を言うことしかできない。楽かもしれないけれど、その不満は何も変えない。
責任を引き受けるとは、自分の選択の結果から逃げないことだ。そしてそれは、重荷ではなく、次の一手を打てるようになるための土台だ。
「辞める」もハンドルを握ることだ
僕自身、ハンドルを握るということを何度か選んできた。
ある会社で自分なりに力を注いでいたとき、途中で方針が変わり、やりたかったことが続けにくい状況になった。残る道もあったが、どの選択肢も自分が納得できるものではなかった。
ちょうどそのタイミングで、家庭の事情も重なった。
普通なら「会社の事情」と「家の事情」の板挟みで身動きが取れなくなるところだと思う。でも、僕は退職を選んだ。会社に期待しなかったわけではない。やりたいこともあった。でも、自分の人生で今何を優先するかを自分で決めた。
振り返れば、あの決断は「逃げた」のではなく「選んだ」のだと思える。結果がどうであれ、自分で選んだという感覚があると、後悔が少ない。
「会社に期待しない」では、まだ足りない
最近、「会社に期待しない」という考え方がよく聞かれるようになった。
それ自体は健全だと思う。会社に過度に依存し、会社に人生を預けてしまうことの危うさに気づいている。
でも、「期待しない」だけでは半分だ。
期待しないことで失望は減る。でも、それは「助手席に座ったまま、運転手に文句を言わなくなった」だけだ。酔いは減るかもしれないが、自分の行きたい場所には依然として向かっていない。
大事なのは、期待しないことの先にある「自分で選ぶ」というステップだ。
会社がこうしてくれないなら、自分でその構造を変えにいく。変えられないなら、別の場所に移る。それも無理なら、今の場所で自分にできる範囲のハンドルを握り直す。
どれを選んでもいい。大事なのは、「自分が選んだ」という感覚を持つことだ。
選択を引き受けると、世界が変わる
ハンドルを握ると何が変わるか。
一番大きいのは、結果の受け取り方が変わることだ。
誰かに言われて選んだ道がうまくいかなかったとき、人は「あいつのせいだ」と思う。それは当然だ。自分で選んでいないのだから。でも、その怒りは何も生まない。怒りのエネルギーは、ただ摩擦として消えていく。
一方、自分で選んだ道がうまくいかなかったとき、人は「次はどうしよう」と考える。自分で選んだからこそ、結果を引き受けられる。引き受けられるからこそ、次の一手を考えることができる。
失敗が「誰かのせい」から「次の設計のためのデータ」に変わる。
これは、別の記事で触れている「バグ報告」の考え方[※1]と同じだ。自分がハンドルを握っていれば、うまくいかないことも「自分のシステムからのフィードバック」として受け取れる。
ハンドルを握るとは、全部を一人でやることではない
一つ、誤解されやすいことがある。
「ハンドルを握る」というのは、「全部を一人でやる」ということではない。
むしろ逆だ。ハンドルを握っているからこそ、「ここは自分でやる」「ここは人に任せる」「ここは仕組みに頼る」という判断ができる。それは「飛行機の造り方」と同じ話だ[※2]。
ハンドルを握ることの本質は、「選択する主体が自分である」という状態を保つことだ。
何をやるかを選ぶ。誰に任せるかを選ぶ。どこに向かうかを選ぶ。その選択の主語が「自分」であること。それだけでいい。
あなたのハンドルは、今どこにありますか
最後に、一つだけ問いかけたい。
あなたは今、人生のハンドルを握っていますか。
「会社がこう言うから」「上司がこう望むから」「みんながそうしているから」。そういう理由で動いているなら、ハンドルは他の誰かの手にある。
もちろん、組織の中で生きている以上、すべてを自分の思い通りにはできない。それは当たり前だ。でも、「思い通りにできないこと」と「自分で選んでいないこと」は違う。
制約がある中でも、「この制約の中で、自分はこれを選ぶ」と決められるなら、ハンドルはあなたの手にある。
責任は重荷ではない。自分の選択の結果を引き受けることで、次の一手を打てるようになる力だ。
そのハンドルを、今日、少しだけ自分の方に引き寄せてみてほしい。
