「先生になりたかった」の裏にあったもの
僕は、若い頃「先生になりたい」と思っていた。
教育実習にも行った。実際に教壇に立ってみて、教えること自体は楽しかった。目の前の人が「わかった」と表情を変える瞬間。その手応えは、本物だった。
でも、教育実習を終えたとき、なぜか「先生にはならない」と思った。
学校という場所の中で、先生でいること。その環境に自分が合わないと感じた。教えたいという気持ちはあった。でも、「先生として認められたい」という気持ちも混ざっていた。教壇に立つ姿をカッコいいと思っていた自分がいた。
結局僕は、教員ではなくコンサルタントになった。遠回りに見えるかもしれない。でも、何年も経ってから気づいた。僕のWillは「先生になること」ではなく、「メカニズムを解き明かして、それを人に伝えること」だった[※1]。
「先生になりたい」という言葉の中に、本物のWillと、見栄えのいいエゴが混ざっていた。それを当時の僕は区別できていなかった。
Willとエゴの見分け方
Willとエゴ。この二つは、外から見ると驚くほど似ている。
どちらも「やりたい」と言う。どちらもエネルギーを持っている。どちらも人を動かす力がある。
でも、性質がまったく違う。
Willは、行為そのものに向かうエネルギーだ。「教えたい」「解き明かしたい」「創りたい」。対象が何であれ、その行為自体に喜びがある。報酬がなくても、評価されなくても、勝手に手が動く。記事12[※1]で書いた「止められても、やめられないこと」だ。
エゴは、行為を通じた自己証明に向かうエネルギーだ。「教えている自分を認めてほしい」「すごいと思われたい」「自分の正しさを証明したい」。行為そのものではなく、行為を通じて得られるステータスや承認に燃料を求めている。
見分けるポイントは、シンプルだ。
「それが報われなくても、認められなくても、続けるか?」
この問いに「はい」と答えられるなら、それはWillだ。「いいえ」なら、エゴの可能性が高い。
僕の場合、「先生になること」は「いいえ」だった。先生という肩書きや立場が消えたら、情熱も消える。でも、「メカニズムを解き明かして伝えること」は「はい」だった。実際、先生にはならなかったけれど、コンサルタントとして、研修講師として、そしてこうしてブログを書く中で、同じことを形を変えて続けている。
「声の大きい人」問題
ここからは、組織の話に移りたい。
組織の中で、こんな場面に出くわしたことはないだろうか。
会議で一番声が大きい人の意見が通る。提案の中身よりも、プレゼンの勢いで決まる。静かに考えている人の意見は、拾われない。
声が大きい人の意見が、必ずしも間違っているわけではない。でも、声が大きいことと、意見の質が高いことは、別の話だ。
ここで言う「声の大きさ」は、物理的な声量だけの話ではない。自信に満ちた態度、断言する口調、エネルギッシュなプレゼンテーション。そういった「押しの強さ」全般のことだ。
問題なのは、組織がこの「押しの強さ」をWillの質と混同してしまうことだ。
エゴが混ざったWillの危うさ
声の大きい人のエネルギーの中に、エゴが混ざっていることは珍しくない。
「この企画をやりたい」の裏に、「この企画を成功させた自分として認められたい」が隠れている。「チームを変えたい」の裏に、「チームを変えた実績を作りたい」が潜んでいる。
もちろん、エゴがゼロの人間なんていない。僕自身だってそうだ。何かを提案するとき、「これが正しいと証明したい」というエネルギーが混ざっていることは、正直に言えば、ある。
問題は、エゴが悪いかどうかではない。エゴが判断を歪めるかどうかだ。
エゴが強すぎる提案は、柔軟性を失う。「自分が正しい」を前提にしているから、反論を受け入れられない。修正ができない。途中で方向転換が必要になっても、引くに引けなくなる。
一方、Willに根ざした提案は、柔軟だ。なぜなら、目的は「行為そのもの」であって「自分の正しさの証明」ではないから。手段が変わっても、目的が達成できるならそれでいい。
エゴが目的化すると、施策が硬直する。Willが目的なら、施策は柔軟に変えられる。
静かなWillを拾い上げる
もう一つ、大事な視点がある。
声の大きい人の反対側に、声の小さい人がいる。
会議で発言しない人。自分から手を挙げない人。アイデアを持っていても、「言う場」がないと思っている人。
こういう人のWillは、組織の中で埋もれやすい。
でも、静かであることと、Willが弱いことは違う。むしろ、静かなWillの方が本物であることは多い。承認を求めて声を上げているのではなく、純粋に「こうしたい」と思っているだけだ。ただ、それを組織の言語に翻訳する術を持っていない。
設計者の仕事の一つは、この静かなWillを拾い上げる構造を作ることだと思う。
たとえば、会議の前に各自の意見を書面で集める。発言の順番を変える。小さいグループで先に話し合う時間を設ける。
これは「優しさ」の話ではない。組織のエネルギー効率の話だ。声の大きい人の意見だけで動くと、組織はその人のバイアスに引っ張られる。静かなWillを拾い上げることで、より多様な選択肢が見え、判断の精度が上がる。
情報の非対称性[※2]を解消するのと同じだ。見えていない情報があれば、判断は歪む。聞こえていないWillがあれば、設計は歪む。
「行動力」への賞賛と、内容の精査
ここで、一つ注意したいことがある。
声が大きい人、行動力のある人に対して、僕は否定的に語りたいわけではない。
リスクを取って動くこと自体は、賞賛に値する。 考えているだけで動かない人よりも、動く人の方がチームに貢献していることも多い。
大事なのは、行動力への賞賛と、行動の内容への精査を分けることだ。
「あの人は行動力がある」と「あの人の提案は正しい」は、別の評価だ。これを混同すると、行動力のある人の提案がノーチェックで通る構造ができあがる。
均衡の設計[※3]で書いた通り、設計者は常に「全体のWillが殺されていないか」を確認する。声の大きい人のWillを殺す必要はない。でも、その人のWillだけで組織が動いている状態は、均衡が崩れている。
自分のWillを点検する
最後に、自分自身に矢印を向けてみたい。
自分の「やりたい」の中に、エゴはどれくらい混ざっているか。
これは自分を責めるための問いではない。自分のWillの「品質」を確認するための定期点検だ。
記事30[※4]で「自分をデバッグする」という話を書いた[※4]。自分の思考の癖を見つけて、OSをアップデートする。Willの品質チェックも、その延長線上にある。
いくつかの問いを挙げてみる。
「この提案が通らなかったとき、自分は何を感じるか?」
悔しさの中身を分解する。「アイデア自体が実現しないことが残念」なら、Will寄りだ。「自分が否定されたと感じる」なら、エゴが混ざっている可能性がある。
「手段が変わっても、目的が達成されるならOKか?」
自分のやり方にこだわるのか、結果にこだわるのか。やり方へのこだわりが強すぎるなら、「自分のやり方を証明したい」というエゴが動力になっているかもしれない。
「誰にも見えないところでも、同じことをやるか?」
これは記事12[※1]で書いた「止められても、やめられないか」と同じ問いを、別の角度から投げかけている。人に見せるためにやっているのか、自分のためにやっているのか。
品質の高いWillが、組織を動かす
声の大きさでも、行動力でも、ポジションでもない。
組織を本当に動かすのは、品質の高いWillだ。
それは、エゴが少なく、目的に向かって柔軟に形を変えられるエネルギーのこと。報われなくても消えないし、反論されても折れない。でも、より良い手段が見つかれば、躊躇なくそちらに切り替えられる。
声が大きくても、中身がエゴだけなら、組織は消耗する。声が小さくても、Willが本物なら、正しく拾い上げれば組織は動く。
設計者は、声の大きさに惑わされず、Willの品質を見極めるフィルターを持つ必要がある。 そして、品質の高いWillが――それが誰の中にあろうと――正しく流通する構造を設計することが、組織をハックする上での大事な一手になる。
