データは揃っている。ロジックも通っている。なのに——
明らかに正しいことを言っている。データもある。ロジックも通っている。誰が聞いても「その通りだ」と言うはずの内容だ。
なのに、伝わらない。相手が動かない。
提案が通らないとき、人は「あの人は頭が固い」「あの部署は変わる気がない」と結論づけがちだ。でも、本当にそうだろうか。
記事28[※1]では、1対1の場面で正論を届ける「納得のブリッジ」について書いた[※1]。ここではもっと広い視点から、組織全体に正論が通らない構造——文脈の断絶という不全を解剖してみたい。
文脈(Context)とは何か
文脈とは、相手がその瞬間に見ている世界の全体像だ。
たとえば、営業部長にとっての文脈は、「今月の売上目標があと20%足りない。チームの士気が下がっている。来期の人員計画も不透明だ」かもしれない。
人事部長にとっての文脈は、「離職率が上がっている。採用市場が厳しい。現場から不満の声が上がっている」かもしれない。
同じ会社の中にいるのに、見えている世界が違う。
正論が通らない原因の多くは、相手の文脈を無視して、自分の文脈から正しいことを言っていることにある。
文脈を無視した正論は、暴力になる
少し強い言葉を使う。
文脈を無視した正論は、善意の暴力だ。
「もっとチームのコミュニケーションを改善すべきだ」。正しい。でも、目の前のプロジェクトが炎上している人に向かって言っても、火に油を注ぐだけだ。
「評価制度を根本から見直すべきだ」。正しい。でも、今期の人事異動で手一杯の人事部長に向かって言っても、「わかってるけど、今じゃない」と返されるだけだ。
正論そのものは間違っていない。でも、相手がそれを受け取れる状態にあるかどうかを考えていない。
記事05[※2]で「ペンギンに空を飛べと言う残酷さ」について書いた[※2]。文脈を無視した正論は、まさにこれだ。相手の状況を見ずに、「正しいこと」を押しつけている。
なぜ文脈は断絶するのか
文脈の断絶は、なぜ起きるのか。
いくつかの構造的な原因がある。
① 情報の非対称性
記事11[※3]で詳しく書いた通り[※3]、組織の中で同じ情報を持っている人はほとんどいない。経営が見ている数字と、現場が見ている現実は違う。その差が、文脈のズレを生む。
② 立場の違い
同じ事実を見ても、立場によって解釈が変わる。売上の低下を「営業の問題」と見る人もいれば、「商品の問題」と見る人もいれば、「市場環境の問題」と見る人もいる。それぞれの立場から見た「正しい分析」が、ぶつかり合う。
③ 時間軸のズレ
これは前の記事で書いた通りだ[※4]。短期で見ている人と長期で見ている人では、同じ施策に対する評価が変わる。
こうした構造的な原因があるのに、「あの人はわかっていない」と人の問題に帰結させてしまう。それが、文脈の断絶がいつまでも解消されない理由だ。
相手の土壌に潜り込む
では、どうすればいいか。
正論を通したいなら、まず相手の土壌を理解する必要がある。
「土壌」とは、相手の文脈そのものだ。今何に困っているか。何を恐れているか。何を大事にしているか。
記事28[※1]で書いた三つの問い——「相手が一番怖いことは何か」「一番欲しいことは何か」「今はどんなタイミングか」——を、ここでも使える。
大事なのは、相手の文脈を理解することは、自分の正しさを曲げることではないということだ。
自分の提案の本質は変えない。でも、相手の文脈の中でそれがどういう意味を持つかを翻訳する。
「評価制度を見直すべきだ」を、人事部長の文脈で翻訳する。「今の離職率の高さ、評価制度の不透明さが一因かもしれません。今期の異動が落ち着いたタイミングで、来期に向けて見直しませんか」。
内容は同じだ。でも、相手の土壌に植えられている。だから、芽が出る可能性がある。
文脈を共有する構造を作る
もっと根本的な解決策もある。
文脈がバラバラなまま放置するのではなく、文脈を共有する構造を組織の中に作ることだ。
たとえば、部門横断のミーティングで、各部門の「今の最大の課題」を共有する。それだけで、相手の文脈が少し見えるようになる。「営業は今月こういう状況なんだ」「人事は採用で大変なんだ」。
たとえば、経営の意思決定のプロセスを、現場にも見えるようにする。「なぜあの判断になったのか」がわかれば、「上が何も考えていない」という誤解が減る。
情報の非対称性を解消する[※3]ことは、文脈の断絶を防ぐことでもある。
正論を「贈り物」にする
記事28[※1]の最後で、「正論を武器にするのではなく、贈り物にする」と書いた。
文脈の断絶を意識すると、同じ正論でも届き方がまるで変わる。
自分の視点だけで語る正論は、武器だ。相手を打ち負かすための道具になる。
相手の文脈を踏まえて語る正論は、贈り物だ。相手が「それは自分のためになる」と感じてくれる提案になる。
正しいことを言っているのに伝わらない。それは、あなたの分析力の問題ではなく、「相手の文脈に翻訳する」という設計が抜けているだけだ。
構造の問題は、構造で解決できる。
