【Will&Nexus 29/49】「やっぱり自分が正しかった」で終わっていないか。

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また、同じ匂いがした

新しい環境に飛び込むたびに、同じことが起きていた。

その場所のビジョンに共鳴して、「ここなら自分のやりたいことができる」と思って入る。でも、蓋を開けてみると想定を超える課題だらけ。仕組みも、業務の流れも、人への対応も、整っていないことばかり。

「ここが問題だ」と見つけては手を打ち、「これが根っこだ」と仮説を立てては施策を回す。でも、なかなか伝わらない。

ある会社では、「このプロジェクトの進め方では手戻りになる」と主張した。聞き入れられなかった。結局、そのとおりになった。別の会社でも、「この構造に問題がある」と提言した。やはり通らなかった。

振り返ると、僕のキャリアには同じパターンが何度も現れていた。

構造の問題を見つける。提言する。伝わらない。状況が悪化する。やっぱり自分が正しかった、と確認する。

でも、「やっぱり正しかった」で終わっていること自体に、違和感を覚え始めたのは、ここ数年のことだ。


正しかったのに、なぜ繰り返すのか

組織の構造を変えるのが設計者の仕事だと、このシリーズでも書いてきた[※1][※2]

センターピンを見つけ、因果を遡り、構造を書き換える。それ自体は間違っていない。

でも、何度手を打っても同じ種類の問題が繰り返されるなら、もう一つの可能性を考えなければならない。

設計図の問題ではなく、設計者自身の「目」の問題かもしれないということだ。


見えていなかったもの

別のところでも、一つの痛い気づきがあった。

一緒に仕事をしていた人がいた。その領域の経験はまだ浅かったが、真面目に取り組む人だった。僕はやり方を整え、判断基準を共有し、少しずつ任せられる範囲を広げていった。手応えがあった。

でも、あるとき、「やり方への干渉がきつい」と感じていたと知らされた。

正直、驚いた。言ってくれれば調整したのに、と思った。

でも、しばらくして、その驚き自体が自分の盲点を示していることに気づいた。

僕は「構造を整える」ことに集中していた。やるべきことが山積みだったし、実際に回り始めた。でも、目の前の人がどう感じているかという情報を、十分に拾えていなかった。構造を見る力が強い分、人の感情という「データ」を軽視していたのかもしれない。


ハンマーを持つ人には、すべてが釘に見える

人は誰でも、認知の癖を持っている。

ある問題を見たとき、「これはコミュニケーションの問題だ」と感じやすい人がいる。「これはリソースの問題だ」と思う人もいる。「これはリーダーシップの問題だ」と見る人もいる。

どれも間違いではない。でも、自分の得意なレンズで見ているだけかもしれない。

僕の場合、レンズは「構造」だった。組織の仕組み、評価制度、情報の流れ、意思決定のプロセス。それらを見抜く力は、自分の強みだと思っている。実際に、構造を変えることで解決した問題もたくさんある。

でも、そのレンズが強すぎて、構造では拾えないものを見落としていた。人の感情、タイミング、相手にとっての「正しさ」。そういうものは、構造のレンズでは捉えきれない。

繰り返される問題は、自分が見えていない角度に真因があることのサインかもしれない。


「構造が悪い」というもう一つの逃げ道

このシリーズでは一貫して、「人を責めるな、構造を診ろ」と書いてきた。

それは正しい。ほとんどの場合、問題の根っこは構造にある。

でも、「構造が悪い」と言い続けることが、もう一つの逃げ道になっていないか。

構造を変え続けているのに問題が繰り返されるとき、変えるべきは構造ではなく、構造を診ている自分のレンズかもしれない。

「あの人が悪い」と他責にするのは論外だ。でも、「構造が悪い」という多責も、突き詰めていくと同じ袋小路に入ることがある。どちらも、自分自身を変数から外しているという意味では同じだからだ[※3]


自分をデバッグする

では、自分の認知の癖にどう気づけばいいのか。

僕がやっている方法は、シンプルだ。繰り返しパターンを記録すること

「また同じことが起きた」と感じたとき、それを書き留める。何が起きたか。自分はどう判断したか。結果はどうだったか。

何度か記録すると、パターンが見えてくる。「自分はいつもこの種類の問題に反応する」「自分はいつもこの判断をして、いつもこの結果になる」。

僕の場合は、パターンはこうだった。構造の問題を見つけて提言する→伝わらない→「伝わらないのは相手の問題だ」と結論づける。 これが何度も繰り返されていた。

でも、記事21[※2]で書いた「衝撃のズレ」を自分自身に適用すると、見え方が変わる。僕は「視点」は合っていたかもしれない。でも「衝撃」、つまり相手の文脈で翻訳する力が足りていなかったのかもしれない。正しいことを、正しい言葉で言っていたが、相手にとっての正しさには変換できていなかった。

これは自分を責めるための作業ではない。自分というシステムからのバグ報告を受け取る作業だ。バグを見つけたら、設計者として修正すればいい。


外部センサーを持つ

もう一つ、大事なことがある。

自分の盲点は、自分では見つけられない。

だからこそ、自分とは違うレンズを持っている人の視点を借りることが大事だ。

僕自身、ある時期に自分の思考の癖を見つめ直す機会があった。そこで気づいたのは、「成果を出さなければならない」「期待に応えなければならない」という無意識の前提が、僕の判断をずっと歪めていたということだ。

構造の問題を見つけて提言するとき、僕は純粋に「良くしたい」と思っていた。でもその裏に、「自分が正しいと証明したい」「自分の価値を示したい」というエネルギーが混ざっていなかったか。そのエネルギーが、伝え方を硬くし、相手の受け取りやすさを損なっていなかったか。

これは、一人で内省しているだけでは気づけなかった。外から自分を映してくれる存在があって、はじめて見えたことだ。

自分の盲点を突いてくれる存在は、設計者にとって最も貴重なリソースだと思う。


まだ途中にいる

正直に言えば、僕はこのテーマについて「答え」を持っているわけではない。

自分の認知の癖に気づいた。でも、それを完全に修正できたかと言えば、たぶんまだできていない。また同じパターンに陥ることもあると思う。

ただ、一つだけ変わったことがある。

「やっぱり自分が正しかった」で終わらなくなったことだ。

「正しかったのに伝わらなかった」ではなく、「正しかったかもしれないが、伝え方に改善の余地があったのではないか」と考えられるようになった。それだけで、次の一手が変わる。

繰り返される問題は、あなたがダメだということではない。あなたのOSにアップデートが必要だという、システムからのフィードバックだ[※4]

何度も同じ不全が起きるなら、設計者は自分のレンズを疑う勇気を持ってほしい。

僕もまだ、そのアップデートの途中にいる。


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この記事を書いた人

慶應義塾大学大学院 理工学研究科 前期博士課程修了。

新卒から総合コンサルティングファームに入り、約6年ITや業務のコンサルを行う。研修会社に転職し、研修講師・企画等を行ったのち、人事領域全般に関わる、人材紹介会社グループのコンサルティングファームに。社内から組織や人材を良くしたいという希望から、事業会社で人事責任者などを経験。

趣味は多岐にわたる。断続的に続いているものだけでもゲーム(特にRPG, ドラクエシリーズ)、小さい頃から好きだった音楽(特に歌うこと)、社会人になってからフィットネスクラブ通い、コロナになってから始めた写真などは今も断続的に行っている。

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